C.W.ニコル氏と、繋いでいくものと…
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令和2年4月3日
作家であり、環境保護活動家であり、探検家である、C.W.ニコル氏が他界されました
ここに深く哀悼の意を表します
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弊社においても、かねてより親交のあったニコル氏の訃報に深く心をいためております。
森とともに生きてきた彼の姿に、
多くの人々が自然と向き合うことに心を傾けることを知らされ、
愛をもって、強い心もちを持って暮らすことを知らされたことでしょう…
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彼は、「無知がいちばんの罪である」ことを、教えてくれました。
そして、人も動物も植物も木々も、すべて「自然」であり、
人は「知ること」で、「自然」と共に暮らしていくことができることを、教えてくれました。
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森を歩き、木々の声を聴く。
木を抱きしめ、木のぬくもりを肌で感じ、流れるいのちの音を聴く。
これほど木を愛し、自然を愛し、そして人を愛した人は、他にどれだけいるでしょうか…
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彼はいま、きっと、山々を大地を闊歩していることでしょう。
好きなときに好きなだけ、
木々を抱きしめ、馬に乗り、火をおこし、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、
美しい自然の中を、その歩みを踏みしめていることでしょう。
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日本の自然の豊かさに心打たれ、
故郷ウェールズから遠く離れた日本の国籍を取得し、
日本各地で、日本の自然の豊かさと、それを大切に共に生きていくことの大切さを伝え歩いた、
C.W.ニコル氏。
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ここに、ニコル氏の著書『FOREST』から、
彼の言葉を、引用させていただきます。
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― やらなくてはならないことがたくさんある。
学ばなければならないこともたくさんある。
― 若いみんなと一緒に木を育てたいのだ。
やれることはやらなくては、ね?
― 森が自分の一部だということ、
いつだってそうだったということ、
そして、この私もまた森の一部だということ。
― 日本じゅうを流れる清らかな河川、
そのすべてのおおもとこそそうした天然の森であり、
山なのですから。
― 確かに、わたしは日本人ではございません。
しかしながら、この国の自然と文化を、
深く愛するものとして、
それが失われるのを見ることは、
実に耐えがたい悲しみなのです。
― この森を育てることは、
私にとって大きな喜びだ。
しじゅう何かしら学ぶべきことが、新しいことが、
目の前に現れてくるのだから。
― 日本の自然の多様さ、美しさ、
力強さはたいしたものだ。
しかもその自然は、
私たちの側の愛情と心遣いにたっぷりと応えてくれる。
― 森の木たちにむかって、
私がかれらをどんなに大事に思っているか知らせてやりたくてならないのである。
― まず勉強し、理解するということ、
そしてその理解こそが行動の第1歩となるのだということ。
― 家から外に出て、自然を眺めたまえ。
そして自分たちが住んでいるこの日本が、
どんなに美しい国であるか、
しっかりと理解してほしいと思う。
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山を流れる川の水は、海へとそそぎ、
海の水はやがて雲となり、大地に雨を降らします。
その雨の恵みを山の木々は体いっぱいに受け止め、
大地に根を張り、たくさんの水を貯えます。
山を流れる川は穏やかに澄み、そこに魚たちが泳ぎ、
木々の茂る森には、たくさんの動物や植物たちが住み育ちます。
木々の葉は、大気中の二酸化炭素を吸収し酸素を大気に放ち、
その酸素を吸って、動物たち、わたしたち人間は生きています。
『母なる海』、そして、それを育む『母なる森の木々』。
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わたしたちは、自然のもとに生きていることを忘れてはいけません。
そして自然も、わたしたちのもとに生きてきたとも言えます。
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わたしたち人間の経済活動により、地球全体のバランスが変化し、
そして今、かつてないコロナ禍により、これまでの価値観が大きく変わりつつあります。
わたしたちが、何をPick upし何をChoiceしていくかのひとつひとつが、
これから先のわたしたちの暮らしに繋がっています。
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『stay home』
『state a casa』
わたしたちは、『家』に守られ暮らしています。
その家を日本の木で構えることは、多くの命を繋ぐことにつながることを
わたしたちは今一度、考えるときにあるように思います。
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窓の向こうで、新緑の木々が風に葉を枝を揺らしています。
「山をごらんなさい」
ニコル氏の、強くやさしく、あたたかい声が、聞こえてくるようです。
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木のある暮らしを提案していくことが、
ニコル氏への敬愛のしるしであり、
わたしたちの信念です。
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株式会社 芳賀沼製作
大竹