植木夫妻の家づくり日記 後編 「9月 神棚の棚が完成!」
■久しぶりの菅野さん宅訪問
9月に入って、薪をお願いしていた小倉さんから突然「伐採の最中に熊におそわれた」という連絡があった。山林で伐採していたら、小熊が出てきて、追い払ったら今度は母熊が登場して「頭をかじられた」とのこと。幸い、顔に怪我を負っただけですんだそうだが、しばらく入院していたため薪はまだ伐っていないという。「特に急いでいないので、薪は怪我が治ってからでもいいですよ」と言ったが、本当に驚いた。
今回の福島行きでは、久しぶりにご無沙汰していた菅野夫妻に会いに行くことにした。私たちの福島移住のきっかけとなったご夫婦だ。いつものように、11日・仕事を終えて横浜を出発した。翌12日の午前中菅野さん宅を訪問。ご夫妻とも元気で出迎えてくれた。
昼食を挟んで、福島の地域の話など長々と話をした。私の職場である郵便局の現状の話もした。
菅野さんが退職されたのは12年ほど前で、郵政はまだ民営化されていなかった。その後、郵便局の現場はかなり変わった。
郵貯・簡保・郵便事業・窓口と分割され、業務も別会社となってそれぞれがバラバラになった。さらにコスト削減ありきで、サービスの向上とは程遠い現場となっている。そんな現在の郵政の状況を聞いて、菅野さんは郵政の将来をかなり憂いていた。
あっというまに時間が過ぎ、また伺うことを約束して、午後は買い物をして帰宅した。
翌朝、神棚の棚づくりに取り掛かった。棚板に上から吊る角材を打ちつけ、棚は和室の押入れの上の鴨居に載せるようにして固定。できるだけ釘は見えないように打ち、見えるところはタボで埋めて隠した。棚板の厚みが左右で多少違ったりと、多少問題はあったが、なんとか棚を吊ることができた。最後に雲の板を前につけて完成した。
■悩める国分さんの畑の使い道
そして午後、国分さん宅に向う。今回は「あやめ」の周りの草取りとなった。ものすごい雑草があやめをすっかり覆っていて、あやめがどこに生えているのかさえわからないくらいになっていた。9月だというのにまだ暑さが残る中、雑草を必死で刈った。
国分さんの畑は国分さんの家を背にして北側に、東と西側の山林に挟まれるようにして広がっている。西側の山林の一番手前が竹林で、そのすぐ下にアスパラ畑がある。さらにそのアスパラ畑の下の斜面に広い土地が広がっていてる。東側の山林の斜面の中腹あたりには、昨年ツツジと、またその下の湧き水の流れるあたりにアヤメが植えられた。
アヤメとアスパラ畑の間にある敷地は、土壌改良はしたもののまだ作物らしいものはあまり栽培されていない。
ほんの少しサトイモやゴマ・エゴマが栽培されているぐらいだ。国分さん一人ではアスパラ栽培がいっぱいで、そこまでは手が回らない状態だからだ。そしてその空き地は今夏は、特になにも栽培されないまま雑草だらけとなっていた。
しかし、今月訪ねてみると、その部分の雑草は無くなり、土地は整地されていた。
国分さんの話によると、今度そこは菜の花畑になるらしい。田口さんがそういう企画を立て、来月・10月のイベントで花の種を植える手はずになっているとのこと。すでに種まきの準備がされていた。
まあ、菜の花畑もいいが、それでこの土地を使ってしまうのは何かもったいない気がする。
しかし、まだ月に1回しかこれない私たちには、具体的にどんな作物を栽培したらいいのかなどと、とても言えない。しばらくは、出来る範囲内で国分さんの畑を手伝うことで、成り行きを見守るしかない。
これからもしばらくは横浜で仕事を続けることだろうし、妻も「もうすこし、介護の経験をつんで、出来たら資格を取得してから」と言っている。福島移住にあたっては完全な就農までは難しいが、それを基盤とした地域のコミュニティー作りに協力していきたいと考えているい。「高齢化した地方で、高齢者が集う施設を中心に、いろいろな世代が交流できるコミュニティーの場が出来たら…」というのが妻の理想だそうだ。そのためにも、今のうちから地道に地域との交流を深めていくつもりである。
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美郷から戻って、翌週末・19日(日曜)、東京の東銀座の「ふるさと情報館」で、福島移住のためのセミナーに参加してみた。
最近、田舎暮らしの希望者が増えてるという視点から、NHKの福島支局が取材にきていた。内容はそこそこで、目新しいことはあまりなかったが、グリーン・ツーリズムを推進している「福島県庁の観光課」の方と、少し話ができた。
都会の人が福島を訪ねやすいように、美郷の家を宿泊場として提供してもいいと申し出た。すぐに対応できる話ではないが、気長にそういう形で、福島と首都圏との交流に力を貸せればと思った。
10月はいよいよ、会津田島に新米を取りに行く。その頃は、田島もそうだが、二本松も朝晩大分冷え込んでいるだろう。
次回は「新米購入と、神棚を祭る」